2006年「八ヶ岳薪能」

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 2006年「八ヶ岳薪能」

投稿日:2006年07月01日 14:56

 全国200ヵ所以上で行われ、今や夏の風物詩としてすっかり定着した観のある薪能。漆黒の闇に燃えるかがり火の炎が、演者と舞台をほのかに照らし、見る者を幽玄の世界へと誘います。

 中でもこの身曾岐神社で毎年8月3日に行われる「八ヶ岳薪能」は、八ヶ岳山麓という大自然と、神池に浮かんだ舞台群という絶妙のロケーションによって、地元の愛好家のみならず全国的にその名が知れ渡っております。

 そもそもこの八ヶ岳薪能は、身曾岐神社の大祭前夜の宵宮として行われ、神様にご奉納するお神楽としての意味を持ちます。そのため演能に先立つ舞台浄め祓い式が独特の形式で行われるのも、大きな見どころです。

 当日は、日が落ちると共に神職による「篝火点火の儀」が行われ、迫りくる宵闇の中、神火が明々と映えわたり、それを映す水鏡という幻想的な雰囲気が醸し出されます。

 皆様には薪能ならではの自然と舞台が一体となった荘厳さと、日本の精神伝統文化の奥深さを十分に満喫していただけることと思います。

・能 羽衣 はごろも 和合之舞 観世 清和

 「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを」。羽衣をかえしたならば、そのまま天上するのではないかという漁夫に、天人は凛然と言い放つ。能は月の天人という存在に仮託して、人間の美しさ、清らかさへの憧れを、そのまま舞台に結晶させるのである。

 春は曙。松の緑。青い海原。そして富士の霊峰。羽衣を奪われた天人の嘆きは、一転して清冽かつ華麗な舞となり、日本の国土を祝福しつつ、そのまま天に消える。

 「和合之舞」は、典雅な序之舞の位が進み、破ノ舞のテンポとなって「東遊びの数々に」という終曲部の高揚に直結する。水に映える身曾岐神社能楽殿の空間が活かされる能であり、演出である。円熟の年齢を迎える観世宗家の気品こそ、この能にもっともふさわしい。

・狂言 樋の酒 ひのさけ 野村 萬斎

 外出する主人は、太郎冠者を米蔵に、次郎冠者を酒蔵に閉じ込める。蔵と蔵の窓に樋を渡し、酒を飲ませる奇抜な趣向。蔵を抜け出し、飲めや謡えの宴会を始めた二人。「やるまいぞ。やるまいぞ」。幕のない能舞台のすぐれた演出である。
 NHK「にほんごであそぼ」の活躍、「オイディプス王」ほか世界の演劇人として活躍する人気の野村萬斎と、石田幸雄の熟達の芸の共演である。

・能 舎利 しゃり 武田 尚浩

 京都東山泉湧寺は、皇室関係の格式高い寺であり、楊貴妃観音でも有名である。世阿弥を佐渡に流した足利義教は、僧としてこの寺に在ったが、籖引きで将軍になった人である。
 仏舎利(釈迦の骨)を拝む出雲の僧。里人の姿で、昔仏舎利を奪った足疾鬼の執念が再び現れる。「庭の松風さえかえり。更け行く鐘の声までも。心耳を澄ます夜もすがら」。

 深々たる寺の雰囲気が見る者の心にしみる前段である。突然変異が起こる。
「足疾き鬼なれば。舎利殿に飛び上がりくるくると。見る人の目をくらめて。
そまの紛れに牙舎利を取って。天井を蹴破り」消え失せる。

 祈りによって現れた韋駄天が、本性を現した足疾鬼を、宇宙の果てまで追いつめて仏舎利を取り戻す。夜の闇を照らす薪の炎と、長い橋ガカリが、能の早さの極限を示す鮮やかな動きと色彩を際だてる。観世流の実力者と気鋭のコンビに期待されるところである。

  解説 能楽評論家 増田 正造

日時:平成18年8月3日(木曜日)
   17:00開演-20:00頃終演予定

会場:身曾岐神社 能楽殿
   山梨県北杜市小淵沢町上笹尾3401
   http://www.misogi.jp/



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