西洋暦と旧暦

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 西洋暦と旧暦

投稿日:2006年01月15日 22:13

 現在私たちが使っているのはグレゴリオ暦という西洋暦です。明治の最初に脱亜入欧のために、それまで使われてきた日本の暦を無理矢理捨て去って採用したものです。

 その時まで使っていた暦は天保暦というもので、いわゆる旧暦と称するものです。今現在のを新しい暦とする立場からすれば、それまでの暦に旧暦という呼称を与えて差別化したかったのでしょうが、そのことによって、現在の私たちまで暦のことで誤解をする羽目になってしまったようです。

 現在の西洋暦は地球が太陽の回りを公転する365日少々を1年としたものですが、旧暦の方は、その公転に加えて月の動きを考慮して暦を決めようというものです。月の満ち欠けだけで暦を決めるのは太陰暦といい、旧暦は太陰太陽暦といいます。

 太陰太陽暦は明治五年(一八七二)の改暦までの千二百年もの間、親しんで来た暦です。月が出ない朔(さく)<一日>から、望(もち)<満月、十五夜>になり、次ぎの朔に到る(一朔望月)までの時間、約二十九日半を一ヶ月とし、十二ヶ月を一年としました。一年は約三五四日。これに太陽の運行(約三六五日)による季節の変化(二十四節気と七十二候)を取り入れたもので、太陰(月)と太陽の双方の運行から組み立てた高度な暦でした。

 二十四節気(にじゅうしせっき)とは、古代中国より伝わった季節区分で、昼夜の長さが等しくなる春分を基準に二十四の季節の推移を表す節気を設けたものです。月の動きをもととする太陰暦において、暦と季節の微妙なズレを補うため、太陽の動きを基準とした季節区分を加味して、主に農作業に役立てました。各節気の一期間は約十五日、月に二つある節気のうち初めを正節、後を中気と呼びます。

 七十二候(しちじゅうにこう)とは、約十五日の二十四節気それぞれを、さらに三等分し(二十四×三=七十二)、ほぼ五日間ごとにその時候に特徴的な自然現象を当てはめたもので、それぞれ初候、次候、末候といいます。
暦の伝来と共にわが国に伝わりましたが、日本の気候と一致しない候もありました。現在伝わっている七十二候は、江戸時代以降、日本の風土にあわせ修正したものです。

 旧暦では、一ヶ月が約二十九日半なので、一ヶ月を三十日と二十九日に分けて、三十日を大の月、二十九日を小の月として表し、江戸時代には『大小暦』と呼ばれていました。月の運行では一年は約三五四日なので、太陽の運行より約十一日短くなります。そのため、五年に二回、十九年に七回の閏月をもうけ、一年を十三ヶ月として太陽の運行に合わせて季節のズレを調整していました。

 西洋暦は365日を機械的に12で割って、ローマ帝国の偉いさんが勝手に月の日数の分捕り合いをした結果、自然の周期とずれてしまったものになっている点です。もちろん、1年単位では辻褄合わせをしているのですが、それでも月の自転周期とは関係ありません。月の動きが潮汐に関係していることは説明するまでもありませんが、それ以外にも私たちの生活サイクルや季節感には密接な関係があります。そういう観点からいえば、旧暦が太陽と月の動向をどちらも取り入れているのは非常に大切なポイントではないでしょうか。

 今年は梅雨が長いとか、冬が早くやってきたということがありますが、旧暦で考えれば何とも不思議ではないということです。新春のご挨拶というのを年賀にするのは、旧暦の年のはじめが春であること、端午の節句や中秋の名月という言葉の意味も改めて理解できます。自然と共生していくには西洋暦よりも旧暦の方が優れているということなのかもしれません。



https://www.lifestyle.co.jp/2006/01/post_11.html
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